2018年4月、東京でオーソモレキュラー栄養療法医学の世界大会がありました。世界中から著名な医学者が集まり、とても有意義な大会となりました。
この大会で中村先生が一番心に残る話というが、立食パーティーで隣に座ってらっしゃった埼玉で整形外科クリニックを開業されている大友先生との話だったようです。
大友先生は、ご自身がオーソモレキュラー栄養療法をなぜ治療に用いるようになたのかを切々と語ってくだったようです。
大友先生のお話
自分の肩こりさえ治せないのに整形外科医を名乗っているなんて…
「埼玉で整形外科クリニックを開業しています。肩こり、腰痛、膝痛など体が痛い患者がひっきりなし。経営的には安定していました。でも、よく考えてみるとそれは「治っていない」ということなのだと気づきました。治らないから通いづづけてくる。治療といっても、ロキソニンのテープだとか内服でおしまい。ぼくは何もしていないのです。とてもむなしい仕事だなという疑問がずっと心のどこかにありました。
そんな日々に転機が訪れました。ぼく自身が肩関節に痛みを感じるようになったのです。これまで自分がやってきた治療を他ならぬ自分自身にやることになってしまったのです。ロキソニンを飲もうが貼ろうが一向に治りませんでした。スーパードクターと呼ばれているような人に診てもらうために県外にも行きました。そでも治らない。
ある先生に、おそらく精神的なものだから精神科を紹介しますよと言われて思わずカッとなってしまいました。
と、同時に、自分がやっている医療のいい加減さに気づきました。自分の手に負えなくなったら精神科送りにしてしまう安易な発想。言われたらカッとなったのですが、それはぼくの鏡像だったのですね。根本的な解決策を提示することができず、適当にかわしているその先生の姿がまさにぼく自身だったのです。自分の肩こりさえ治せないのに整形外科医を名乗っているなんて。
これじゃいけないと思って文献やネットで調べました。そして最終的にたどり着いたのがオーソモレキュラー栄養療法の世界でした。
まず、自分の肩の不調が軽快しました。これには驚きました。そしてどんどんのめり込みました。オーソモレキュラー栄養療法の勉強会には積極的に参加しました。自分の患者さんにもやってみました。これまで全く治らなかった患者さんたちが治っていくのです。数十年来の関節痛を抱え、一生つきあっていくと諦めていた患者さんの症状が見事に消えていきました。
患者さんの中には、「奇跡だ!」って涙流して喜んでくれる人もいました。もう嬉しくてたまりませんでした。
クリニックの経営的には、完治した患者さんは再来院しないからきついです。でも、もうお金じゃないのです。オーソモレキュラー栄養療法の有効性を知ってしまったら、これまでの対症療法がバカバカしくなってしまった。今のぼくの診療スタイルは、とても内科っぽい。食べるものの重要性を説いて食事指導をしています。
十年前は全く逆のスタイルでした。
投薬どころか頻繁に手術もしていました。専門はスパイン。700件以上の手術をこなし、指導医の資格ももっています。正確には「持っていた」という過去の話です。オーソモレキュラー栄養療法で整形外科疾患が治るということを知ってしまった今では、手術などの侵襲的なことをしなくてもすむのです。もう手術は必要ないし、二度としないから指導医の資格を更新しませんでした。
これまで手術がうまくなりたい一心でひたすら技術を磨いてきました。あの日々は何だったんだろうと思います。でも、後悔は一切ない。オーソモレキュラー栄養療法に出会って、根本治癒の本当の意味を体感できました。根本から治った患者さんの笑顔は本当に格別です。」
真に患者さんを思う医師がたどり着く先はオーソモレキュラー栄養療法しかないという中村先生の予想を、見事に体現している先生にお会いされてとても興奮されたご様子です。
中村先生は、オーソモレキュラー栄養療法を臨床現場で実践してこられました。その度に、「学校で何を勉強してきたんだ!」と叱責され、幾度となく嘲笑や冷笑にさらされてきた過去があったようです。
患者さんを根本治癒させてあげたいという強い思いから、辛い思いをたくさんされてきた先生はオーソモレキュラー栄養療法を捨てようとさえ思うほど追い込まれることもあったようです。
でも、今では、同じ信念をもった医師が世界中に増えています。
大友先生との出会いは、中村先生に多くの勇気と激励をもたらしました。
中村先生は、オーソモレキュラー栄養療法を広めるために、この道を歩む決意を新たにされたようです。